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2008年04月30日

戦略爆撃

こんな戦略を立てちゃだめですよね。。

戦略爆撃(せんりゃくばくげき)とは、戦争において戦略的理由にもとづいて行なわれる航空機などによる爆撃のことである。

戦略(strategy) とは戦争の全局的な帰趨を国益に導くべく企画する方法論である。具体的には、実働部隊ではなく、戦略的な要地・要線に対して攻撃を加える長距離爆撃をいう。都市、工業地帯や交通拠点に爆撃を加え、生活基盤、産業基盤を破壊する事などで、相手国の経済力や国民の戦意を削ぎ、継戦能力を減ずることを目的としている。これに対し、その戦闘を有利に進める事を目的とした敵部隊に対する直接爆撃は戦術爆撃と呼ばれる。

無差別爆撃や絨毯爆撃と同一視されがちだが、それらは戦略爆撃の手段の一つであり、イコールではない。例えば、現代では誘導爆弾や巡航ミサイルなどの精密誘導兵器を用いた戦略爆撃が行われている。

歴史

ハンブルク空襲を行うランカスター第一次世界大戦中のドイツ帝国ドイツ陸軍は、戦線後方の大都市に爆撃を行った。ドイツ陸軍は飛行船や大型飛行機を用いて、イギリス帝国のロンドンなどへの爆撃を行っている。これが戦略爆撃の嚆矢とも言えるが、爆弾搭載や航法・爆撃精度の問題により、産業拠点に大きな影響を与えるには至らず、市民に恐怖を与える「恐怖爆撃(テロ爆撃)」の面が強かった。 1921年イタリア王国のイタリア陸軍の元将軍ジュリオ・ドゥーエが戦略爆撃の書『制空』を出版、アメリカ合衆国アメリカ陸軍の飛行戦術学校の教本になるなど各国で研究された。

1930年代に入ると、航空機の能力が向上したこともあって、都市や産業拠点に十分な爆撃を行えるようになった。スペイン内戦でのコンドル軍団によるゲルニカ爆撃がその頃の代表例である。アジアでは、1937年、日中戦争での大日本帝国海軍航空部隊による中華民国の南京爆撃から始まったとされる。その後、九州や台湾の海軍飛行場を基地とした戦略爆撃の目標は重慶にまで広がり、渡洋爆撃として戦時下の国民に宣伝された。

アメリカ合衆国では1940年にマサチューセッツ工科大学に焼夷弾研究所を設立、戦略爆撃用のナパームを出す焼夷弾M69を開発した。 第二次世界大戦の後期では、逆に枢軸国が戦略爆撃を受ける側となる。代表例では、東京大空襲・大阪大空襲・ハンブルク空襲・ドレスデン空襲、そして広島市・長崎市への原爆投下である。その他、アメリカ合衆国を除く、多くの戦争当事国が戦略爆撃をうけ、多くの都市が被害を受けた。第二次世界大戦において、都市以外を主目標とした戦略爆撃もあり、1943年8月のプロシェチ油田爆撃や1944年11月に東京西部の中島飛行機武蔵製作所(主力航空機のエンジン生産工場)爆撃などがある。


日本全土に戦略爆撃を行ったB-29 スーパーフォートレス1943年以降ドイツ本土爆撃に際し、アメリカ陸軍航空隊は、市街地を避け軍事施設を狙う、昼間精密爆撃に固執した。これは、精密な照準機を保有していたこととイギリス空軍の爆撃機よりも防御火力が多かったことによるものである。ただし、初期の爆撃において全行程随伴可能な護衛戦闘機がなかったことも災いし、ドイツ空軍の迎撃によって大損害を出した。第二次世界大戦においてもっとも損害を出したアメリカ軍はドイツ爆撃を行った部隊であるともいわれている。対照的にイギリス空軍は防御火力の不足と精密照準機を保有していなかったことにより、夜間都市爆撃を主に行った。このことは、バトル・オブ・ブリテンにおいて、すでに自国へのロンドン爆撃などが行われていたことへの報復と考えられる。

大戦後の主な例では、ベトナム戦争時の米軍のホーチミン・ルート等への組織的な爆撃があげられる。
(以上、ウィキペディアより引用)

昔の人は残酷ですね。。。

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